西陣散策

ット友達のMさんたちと晴明神社で待ち合わせ付近の隠れた史跡を探索に行った。清明神社はしばらく行かないうちに「千利休居士聚楽屋敷跡」の石碑が建っていた。
神社のHPによると、数年前に、江戸時代の茶書から、当神社の境内に当たる「葭屋町通元誓願寺下ル町」に利休屋敷があったことが確認されたため、利休の遺徳をたたえ茶道 武者小路千家家元が石碑を奉納されましたとある。境内の「晴明井」の水は利休が使ったとされているそうで、井戸と晴明神社の紋の付いた蹲があり水が湧き出ている。一条戻り橋の模型と晴明神社が所蔵する御神像に描かれた式神を基に作られた式神像が造られより観光神社になっていた。朝からおまいりする人が絶えず占い客も一杯で繁盛していた。
次に西陣織会館から西陣中央小学校にある観世稲荷に行きく。この地は観世流の発祥に地で、千両ヶ辻を歩いて路地にある小さなレストランで軽食を食べた。千両ヶ辻は町家が残っているが、マンションが増えてさびしくなったいる。路地の中に町家レストランと書いてあったが単なる古家だ。町家ブームで町家と名乗った店が増えているが京の心ある町家は泣いている。乱開発としか言いようのないミニ開発で、古い町家が姿を消して京都の町を様変わりさせてゆく。
ここから歩いて近くの首途八幡宮に行く。義経ブームで脚光を浴びてから有名になり義経が欧州に逃れる時案内した金売り吉次の屋敷がこの付近にあったと伝えられるところから、旅立ちにあたりここで無事を祈ったと伝えられ「源義経奥州首途之地」碑がたった。ブームが去り訪れる人が少なくなって元の静けさに戻ったが、「首途」とは門出の意味で旅立ちに際して道中の無事を祈りお参りする人が多い。戦時中は出征兵士がここに参り、一条戻り橋から出発すると帰還が叶うと言われ西陣の名所になっていた。
ここで一同とわかれ次のコース、千本今出川の般舟院御陵・忠臣蔵のおかる勘平の墓がある上善寺・『ゆっばかりでちゃくれんじ』とあだ名される浄土院・上七軒・北野神社を紹介した。衣笠に住むKさんが案内してくださったので彼女たちは散策できたのではと思っている。短い時間であったが、西陣の隠れた史跡を案内できて楽しかった。
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コメント
ニテコ池の河童さん
お会いできて楽しかったです。
私の愛する西陣はいま乱開発の危機にあります。
「美しい日本」「華やぎと安らぎの京都」と言うキャッチフレーズがむなしくなります。今は表通りより裏通りの開発がはやっているようで、路地が狙われています。
裏通りや路地こそ昔の京都が残っているのに、それがこわされるなんて。
おばちゃんは西陣の町並みを守りたいと思います。勝てる見込みのないむなしい戦いになるでしょうが、戦います。
次回は又西陣を歩きましょうね。
投稿: 隣のおばちゃん | 2007.01.21 03:01
昨日はなかなか行けないところを案内してくださり、ありがとうございました。
西陣はバスで通過したことしかなかったのですが、なかなか入れない小学校の中まで案内していただくことができ、とても嬉しかったです。高校生のときに観世能楽堂の前を通って以来、「お菓子の京観世と何の関係があるのだろう?」とずっと不思議に思っていたので、長年の疑問が解決しました。
(この観世能楽堂は外からしか見たことがありませんが、観世流のマークはついていませんでした。)
あの後ですが、「風俗博物館でゆっくり遊びたい」というリクエストが出たので、上善寺・浄土院・上七軒・北野神社は次回案内していただこうということになり、風俗博物館に直行しました。
また、色々と教えていただければ幸いです。
投稿: ニテコ池の河童 | 2007.01.20 18:28